名古屋大学の研究者らが、動物の行動をリアルタイムで識別し、その行動を生み出している特定の神経細胞を即座に制御できる人工知能(AI)システムを開発しました。
この成果は学術誌Science Advancesに掲載され、神経科学の分野において極めて重要な進展として評価されています。
これまで研究者は、「この行動はどの神経回路によって引き起こされているのか」という問いに対して、観察と推測を積み重ねるしかありませんでした。しかし今回の技術により、行動を確認した瞬間に、その原因となる神経細胞へ直接介入できるようになりました。
これは単なるAIの進歩ではなく、行動と脳を結びつける研究手法そのものを変える可能性を持つ技術です。
YORU(Your Optimal Recognition Utility)の革新性
この新システムは「YORU(Your Optimal Recognition Utility)」と名付けられました。名古屋大学が大阪大学、東北大学と共同で開発したものです。
従来の行動解析は、動物の体の各部位をフレームごとに追跡し、動きの変化を時間軸で分析する方法が主流でした。たとえば「翅が何度上がったか」「尾が何秒間振られたか」といったデータを積み重ねて行動を分類していました。しかしこの方法は計算量が多く、処理に時間がかかり、リアルタイム制御には向いていませんでした。
それに対してYORUは、1枚の映像フレームに映る“全体の姿”から、その瞬間の行動を認識します。
時間的な追跡に依存せず、「見た目のパターン」を総合的に判断することで、非常に高速な識別を可能にしました。
研究チームによれば、
・ショウジョウバエ
・アリ
・ゼブラフィッシュ
の行動を90〜98%という高精度で検出しました。
さらに、既存のツールより約30%高速に動作することも確認されています。
このスピードこそが、後述する神経制御との連動を可能にしているのです。
AIと光遺伝学の融合という新しいアプローチ
YORUの本質的な革新は、AIと「オプトジェネティクス(光遺伝学)」を統合している点にあります。
オプトジェネティクスとは、遺伝子操作によって光に反応するように改変された神経細胞を、特定の波長の光で活性化または抑制する技術です。これにより、研究者は神経回路を極めて精密に操作できます。
YORUは以下の流れで動作します。
- カメラ映像をAIがリアルタイム解析
- 特定の行動を検出
- 即座に光源へ信号を送る
- 対象個体の特定ニューロンを光で制御
つまり、行動が始まった瞬間に、その行動の原因となる神経細胞へ直接介入できるのです。
これは「観察」から「即時操作」への飛躍を意味します。
ショウジョウバエでの決定的な実証
研究チームは、オスのショウジョウバエの求愛行動を用いてこの技術を実証しました。
オスのハエは、交尾の際に翅を広げて“求愛の歌”を発します。この歌は特定の神経回路によって制御されています。
実験では、
・オスが翅を広げる
・YORUがその行動を瞬時に検知
・緑色の光を照射
・歌生成ニューロンを抑制
その結果、求愛の歌が途中で止まり、交尾成功率が低下しました。
この実験は、「行動と神経回路の因果関係」をリアルタイムで証明できることを示しています。単なる相関ではなく、原因を直接操作して結果を観察することが可能になったのです。
集団の中の“1匹だけ”を操作できる意味
従来の光遺伝学では、実験チャンバー全体に光を照射するため、そこにいるすべての動物が影響を受けてしまいました。そのため、集団行動の中で特定の個体だけを操作することは困難でした。
しかしYORUでは、映像認識によって個体を識別し、その1匹だけに光を当てることが可能です。
研究者は、他のハエが自由に動いている中で、1匹のハエの聴覚ニューロンのみを抑制することにも成功しました。
これは、社会的行動の研究において極めて重要です。なぜなら、集団の中での個体の役割を精密に検証できるようになるからです。
他種への応用と高い汎用性
YORUはショウジョウバエだけでなく、
・アリの食物共有
・ゼブラフィッシュの社会的定位
・マウスの毛づくろい
などの行動も識別できることが確認されています。
しかも、
・少量の訓練データで学習可能
・特別なプログラミング知識が不要
という実用性も備えています。
研究チームはこのシステムをオンラインで公開しており、世界中の研究者が利用できる状態にしています。
神経科学の未来を変える可能性
この技術の真の価値は、「行動」と「神経回路」の関係を、より直接的かつ精密に解明できる点にあります。
社会的相互作用、攻撃行動、協力行動、求愛、群れ形成など、これまで複雑すぎて解析が難しかったテーマに対して、個体レベルで因果関係を検証できる時代が到来しつつあります。
YORUは単なる行動解析AIではありません。
それは、神経科学の実験設計そのものを変える可能性を持つ基盤技術です。
今後、この技術がどのような新発見をもたらすのか。脳と行動の理解はどこまで進むのか。科学の最前線は、確実に次の段階へと踏み出しています。
ソース
・Science Advances
・TechXplore
・名古屋大学発表資料

