国際的な研究チームが、新型コロナワクチン接種後にごく稀に発生した重篤な血栓症の原因を、分子レベルで特定したと発表しました。この成果は、医学誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」に掲載され、長年議論されてきた副反応のメカニズムに明確な説明を与えるものです。
問題となったのは、ワクチン誘発性免疫性血小板減少症・血栓症(VITT)と呼ばれる疾患です。これは、血栓(血のかたまり)ができると同時に、血小板という血液の成分が減少するという、非常に危険な状態を指します。発症頻度は約20万人に1人とされ、極めて稀ではありますが、発症すると命に関わることもあります。
今回の研究で明らかになったのは、特定の遺伝的体質と、抗体を作る細胞で偶然起きる単一の分子変化が重なったときに、免疫が誤作動を起こすという仕組みです。つまり、単なる副作用ではなく、極めて特殊な条件が重なった場合にのみ起きる現象であることが、科学的に示されたのです。
免疫システムが誤って「自分」を攻撃する仕組み
この研究は、カナダのマクマスター大学、オーストラリアのフリンダース大学、ドイツのグライフスヴァルト大学医学部などの研究者による共同研究です。
アデノウイルス型ワクチンでは、ウイルスを運び屋(ベクター)として利用します。このウイルスに含まれるタンパク質のひとつが、プロテインVII(pVII)と呼ばれるものです。研究チームは、このpVIIがヒトの血液中に存在する血小板第4因子(PF4)というタンパク質と構造的に似ていることに注目しました。
通常、免疫システムはワクチンに含まれるウイルス成分を認識し、抗体を作って攻撃します。しかし、ごく一部のケースで、その抗体が本来の標的であるpVIIではなく、自分自身のPF4を攻撃してしまうことがあるのです。
PF4が攻撃されると、血小板が過剰に活性化し、血液が異常に固まりやすくなります。その結果、血栓形成と血小板減少という危険な連鎖反応が発生するのです。
遺伝的素因と「たった1つの分子変化」
研究者らは、VITTを発症した人の多くが、IGLV3-2102(または03)と呼ばれる抗体遺伝子の変異体を持っていることを発見しました。この遺伝子型は、人口の最大60%が保有しているとされています。
しかし、それだけでは発症は説明できません。なぜなら、実際の発症率は約20万人に1人と非常に低いからです。
そこで鍵となったのが、K31Eという単一のアミノ酸変化です。抗体を作る細胞の中で偶然起こるこの変化によって、抗体の標的がpVIIからPF4へと切り替わってしまいます。
わずか1つのアミノ酸が置き換わるだけで、抗体の「攻撃対象」が変わるのです。その結果、免疫システムが自分の血液成分を敵と誤認し、血栓症を引き起こします。
研究責任著者のセオドア・ワーケンティン氏は、「正常な免疫応答が、極めて稀に逸脱する仕組みを分子レベルで示した」と説明しています。
実験で証明された因果関係
研究チームは、この仮説をヒト化マウスモデルで検証しました。
VITT患者から採取した抗体をマウスに投与すると、実際に血栓が形成されました。しかし、K31E変異を元に戻した抗体では血栓が発生しませんでした。
この結果は、単一の分子変化が直接的に血栓症を引き起こしていることを実証するものです。
欧州医薬品庁の報告によれば、アデノウイルス型ワクチン接種後、ヨーロッパでは約900件のVITT症例が報告され、そのうち約200件が死亡に至ったとされています。ただし、接種者数全体から見れば発症率は極めて低い水準です。
将来のワクチン設計への重要な示唆
今回の発見は、ワクチン技術そのものを否定するものではありません。むしろ、より安全なワクチン設計への道筋を示す成果です。
研究者らは、VITTの原因となるウイルス成分を特定できたことで、将来のアデノウイルスワクチンではこの部分を改良し、誤作動を回避できる可能性があると述べています。
現在、アデノウイルス技術はエボラ出血熱ワクチンなどで重要な役割を果たしており、インフルエンザ、マラリア、結核に対するワクチン開発も進められています。
オックスフォード大学のワクチン学者サラ・ギルバート氏は、「将来のワクチンをより安全に設計できる可能性が明確になった」と評価しています。
極めて稀だが、科学的解明の意義は大きい
VITTは約20万人に1人という非常に低い確率で発生しました。多くの人にとって、ワクチンの利益はリスクを大きく上回っていました。
しかし、医学の進歩は「稀な事象」を丁寧に解明することで成り立っています。今回の研究は、免疫システムがどのようにして正常な防御反応から逸脱するのかを分子レベルで示したという点で、大きな意義を持ちます。
たった1つのアミノ酸の違いが、免疫の標的をウイルスから自分自身へと変えてしまう。その精密な仕組みが明らかになったことで、将来のワクチン開発はさらに安全性を高めることができるでしょう。
科学は常に進歩しています。そして今回の発見は、安全性を高めながらワクチン技術を発展させるための重要な一歩といえます。
ソース
ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン
Science
ABC News
Medical Xpress

