乳がんの中でも特に治療が難しく、転移しやすいことで知られるトリプルネガティブ乳がんについて、がん細胞が体内で生き残り、他の臓器へ広がっていく具体的な仕組みが新たに解明されました。
ベイラー医科大学の研究チームは、トリプルネガティブ乳がん細胞が「ヒアルロナン」と呼ばれる粘着性の高い物質で自らを覆うことで、血流という過酷な環境を乗り越え、転移を助けていることを突き止めました。
この研究成果は、2月6日に学術誌Nature Communicationsに掲載されており、最も致命的な乳がんの一つに対する新しい治療戦略につながる可能性があるとして注目されています。
トリプルネガティブ乳がんが抱える深刻な課題
トリプルネガティブ乳がんは、全乳がんの約15パーセントを占めるタイプです。
このがんは、エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体、HER2という3つの主要な治療標的を持たないため、ホルモン療法や分子標的薬が使えず、治療の選択肢が限られるという特徴があります。
特に問題となるのが転移後の予後です。
他の臓器へ転移した場合の5年生存率はわずか12パーセントとされており、いかに転移を防ぐかが治療成績を左右します。
これまで、がん細胞が血流中を移動する際には、細胞同士を強く結びつける「接着結合タンパク質」が重要だと考えられてきました。しかし、トリプルネガティブ乳がん細胞は、こうした典型的な接着タンパク質を失っていることが多いにもかかわらず、実際には集団、いわゆるクラスターを形成して転移します。
この矛盾が、長年にわたる分子レベルの謎でした。
がん細胞は「ヒアルロナン」で自らをコーティングしていた
研究チームは、この謎を解く鍵としてヒアルロナンに注目しました。
ヒアルロナンは、体内では関節や皮膚にも存在する粘性の高い分子で、細胞を包み込む性質を持っています。
調査の結果、トリプルネガティブ乳がん細胞は、HAS2という酵素を使って大量のヒアルロナンを自ら合成していることが分かりました。このヒアルロナンが細胞の表面を覆い、CD44という細胞表面タンパク質と結合することで、がん細胞同士がゆるやかにつながったクラスターを形成していました。
責任著者のチョンフイ・チェン博士は、
「がん細胞は単独で移動するよりも、集団で移動した方が生存率が高く、新しい臓器に定着しやすい」
と説明しています。
このヒアルロナンによるコーティングは、血流の強いせん断力や物理的ストレスから細胞を守る役割も果たしていました。
柔軟なクラスターが転移を助ける理由
従来の接着結合によるクラスターは、細胞同士が強固に結びつくため、構造が硬くなります。一方で、ヒアルロナンを介したクラスターは非常に柔軟です。
共同筆頭著者のゲオルグ・ボブコフ博士は、
「ヒアルロナンによるクラスターは、状況に応じて形を変えられる点が大きな利点です」
と述べています。
実際に、がん細胞のクラスターが毛細血管のような狭い空間に遭遇すると、
一時的に分解して細胞が一列になり、
通過後に再び集まってクラスターを再形成する様子が観察されました。
この柔軟性こそが、全身を巡る血管網を突破し、遠隔臓器へ転移する能力を高めていると考えられます。
免疫細胞を利用して身を守る巧妙な戦略
さらに研究チームは、ヒアルロナンで覆われたがん細胞クラスターが、好中球という免疫細胞を捕捉することも発見しました。
好中球は本来、体を守る免疫細胞ですが、その表面にもCD44が存在します。
クラスター表面のヒアルロナンがこれに結合することで、がん細胞の周囲に好中球が取り込まれ、免疫攻撃から身を隠す“盾”のような役割を果たしていました。
この現象により、がん細胞は免疫系からの排除を逃れやすくなり、転移の成功率をさらに高めている可能性があります。
複数のがんに共通する治療標的としての可能性
今回の研究は、ヒアルロナンとCD44の相互作用を遮断することで、がん細胞クラスターの形成や転移を抑制できる可能性を示しています。
同様の仕組みは、
膠芽腫、前立腺がん、膵臓がんなど、他の難治性がんでも確認されています。
そのため、この研究成果は一種類のがんにとどまらず、複数のがん治療に応用できる可能性を持っています。
チェン博士は、
「ヒアルロナンとCD44の結合を阻害することで、循環腫瘍細胞クラスターの形成を防ぐ、あるいは分解する治療法の開発を目指しています」
と述べており、転移そのものを標的とした新しい治療アプローチへの期待が高まっています。
ソース
Nature Communications
medicalxpress.com
ベイラー医科大学 研究発表
Dana-Farber Cancer Institute 関連資料

