ベルギーの研究機関VIBとアントワープ大学の研究者チームが、これまで原因がほとんど分かっていなかった希少な認知症の遺伝的リスク因子を特定しました。
今回の研究では、GOLGA8Aという遺伝子に存在する「リピート伸長」と呼ばれる遺伝子変化が、非定型前頭側頭葉変性症ユビキチン陽性封入体型(aFTLD-U)と強く関係していることが明らかになりました。
この研究成果は2026年に科学誌「Nature Genetics」に発表されています。
aFTLD-Uは患者数が少なく研究例も限られていたため、長い間その原因が分からないままでした。そのため今回の発見は、この疾患サブタイプに対する初めての明確な遺伝的手がかりと評価されています。
特に注目されるのは、この遺伝子変化が病理学的に確認されたaFTLD-U患者の約60%で確認されたことです。
遺伝学の研究では、多くの患者で同じ変化が見つかることは珍しいため、研究者たちはこの結果を非常に強い遺伝的シグナルと説明しています。
若い年代で発症する前頭側頭型認知症
今回の研究対象となった前頭側頭型認知症(FTD)は、認知症の中でも比較的若い年代で発症することが多い病気です。主に行動、人格、言語を司る脳の前頭葉と側頭葉に障害が起こります。そのため、記憶障害よりも性格や行動の変化が最初に現れることが多いのが特徴です。
特に今回研究されたaFTLD-Uは、前頭側頭型認知症の中でも非常に珍しいサブタイプです。
サブタイプとは、同じ病気の中でも特徴や原因が異なる分類を意味します。
aFTLD-Uの患者は多くの場合、30代から40代という比較的若い時期に症状が現れます。しかし、初期症状は病気として認識されにくいことがあります。
例えば、突然の性格変化、衝動的な行動、対人関係の変化などが見られるため、周囲からはストレスや精神的問題と誤解されることもあります。
さらに、この病気は確定診断が生前には難しいという特徴もあります。
多くの場合、最終的な診断は剖検(死亡後の脳の病理検査)によって初めて確定します。この点が研究を難しくしてきた大きな理由でした。
長年研究が難しかった理由
今回の研究を率いたのは、VIB-UAntwerp分子神経学センターのRosa Rademakers教授です。教授によると、この疾患の研究が長年進みにくかった最大の理由は症例数の少なさでした。
aFTLD-Uは非常にまれな病気であるため、遺伝学研究に必要な症例数を集めることが難しかったのです。
また、この病気は家族内で繰り返し発症するケースがほとんど確認されていません。つまり、多くの患者は家族歴がない「孤発性」のケースです。
そのため、研究者の中には「遺伝的要因は存在しないのではないか」という懐疑的な意見もありました。しかしRademakers教授のチームは、原因が見つかる可能性を信じて研究を続けました。
その結果、2022年には研究を支援するため、100万ユーロのGeneret希少疾患研究賞が授与されました。この資金が、今回の大規模な遺伝子解析研究を進める大きな後押しとなりました。
ゲノム解析による大規模な調査
研究チームはまず、病理学的にaFTLD-Uと確認された59例の患者を集めました。そして、これらの患者と数千人規模の健康な対照群の遺伝子を比較しました。
この分析では、ゲノムワイド関連解析(GWAS)と呼ばれる手法が使われました。
これは、人間の全DNAを広く調べて、特定の病気と関連する遺伝子変化を探す方法です。未知の遺伝的要因を見つけるために広く使われています。
しかし、この段階では原因を完全に特定することはできませんでした。そこで研究チームはさらに精密な解析を行いました。それがロングリードシーケンシングです。
新しいDNA解析技術が突破口に
ロングリードシーケンシングとは、DNAを長い断片のまま読み取る新しい解析技術です。従来のDNA解析は、DNAを細かく分割して読み取る方法が一般的でした。
しかしこの方法では、複雑な繰り返し配列やコピー数の多い遺伝子領域を正確に解析することが難しい場合があります。
今回の研究対象となったGOLGA8A遺伝子は、まさにそのような解析が難しい領域に存在していました。
この遺伝子は、人間のゲノムの中で数十個ものコピーが存在する複雑な構造を持っています。
そのため従来の解析では、そこに異常があることを見つけることができなかった可能性があります。
ロングリードシーケンシングを使った結果、研究者たちはGOLGA8A遺伝子のイントロン領域にあるリピート伸長を特定しました。
イントロンとは、遺伝子の中でもタンパク質を直接作らない領域ですが、遺伝子の働きを調整する重要な役割を持つことがあります。
初めて確認されたジヌクレオチドリピート伸長
今回見つかったリピートは、2つのDNA塩基が繰り返される構造を持っています。
このような構造はジヌクレオチドリピートと呼ばれます。
DNAはA・T・C・Gという4種類の塩基で構成されています。通常は様々な組み合わせで並んでいますが、特定の塩基が何度も繰り返される配列が存在することがあります。
今回の研究では、この繰り返し配列が通常より長くなるリピート伸長が確認されました。そして、この変化がaFTLD-U患者の約60%で見つかったのです。
さらに重要なのは、このタイプの変化がこの疾患と関連する初めてのジヌクレオチドリピート伸長だったことです。つまり、新しいタイプの遺伝的原因が発見されたことになります。
非常に強い遺伝的関連性
研究チームの一員であるWouter De Coster博士は、この結果の重要性について次のように説明しています。
「ショートリードシーケンシングでは、GOLGA8Aのような複雑な遺伝子領域で何が起きているのかを理解することが難しいのです。この遺伝子は誰もが数十個のコピーを持っていますから」。
つまり、これまでの研究で原因が見つからなかったのは、解析技術の限界が原因だった可能性があるということです。
さらにDe Coster博士は、今回の遺伝的関連の強さについても強調しています。
「これほど強い関連性が見られることは非常に稀です。もっと大規模な研究でさえ、通常はこのような顕著なシグナルは見られません」。
この発言からも、今回の研究結果が遺伝学の分野で非常に重要な意味を持つことが分かります。
まだ残されている謎
ただし、今回の研究ですべての問題が解決されたわけではありません。
GOLGA8A遺伝子のリピート伸長がどのように脳細胞に影響を与えるのかについては、まだ完全には解明されていません。
つまり、この遺伝子変化がどのような分子メカニズムによって神経細胞の異常を引き起こすのかは、今後の研究課題です。
また、約40%の患者ではこの遺伝子変化が見つかっていないため、他にも未発見の遺伝的要因が存在する可能性があります。
研究者たちは、解析が難しいゲノム領域にまだ未知の原因が隠れている可能性があると考えています。
将来の治療研究への重要な一歩
それでも研究者たちは、今回の発見を治療研究への重要な出発点と考えています。病気の遺伝的原因が明らかになると、病気の発症メカニズムを詳しく調べることができるようになります。
そして、原因となる分子や遺伝子を標的にした標的療法(ターゲット治療)の開発につながる可能性があります。
標的療法とは、病気の原因となる分子だけを狙って治療する方法です。
Rademakers教授は今回の成果について次のように述べています。
「今回初めて、この疾患の根底にある生物学的メカニズムを理解するための強固な足がかりを得ることができました。これは標的療法の開発にとって不可欠です」。
つまり、この研究は単なる遺伝子発見ではなく、将来の治療研究の基盤を築く成果と考えられています。
希少な認知症研究の転換点となる可能性
aFTLD-Uは、これまで研究が難しく「見過ごされてきた病気」とも言われてきました。患者数が少なく診断も難しいため、研究の進展が遅れていたのです。
しかし今回の研究によって、aFTLD-Uの遺伝的背景に関する明確な手がかりが初めて得られました。
特に、患者の約60%に共通する遺伝的変化が見つかったことは、この疾患研究において大きな転換点となる可能性があります。
今後、同様の解析技術を使った研究が進めば、他の希少な神経疾患でも新たな原因遺伝子が見つかる可能性があります。
つまり、この研究は一つの病気の発見にとどまらず、神経疾患研究全体の新しい方向性を示す成果とも言えるでしょう。
ソース
Nature Genetics掲載研究
news.harvard.edu
VIB
アントワープ大学

